咲かない花。

遅咲きでも狂い咲きでも良かったんだけど、なんか咲かないっぽい。それが私。

ねぎみその逸品が絶品

 ラーメンが国民食と言われるようになって久しいけれど、いったいどこの誰がそんなことを言っているのかは誰も知らないという仄暗い事実は措くとして、わたしはラーメン大好き。

 わたしがどれだけラーメンを愛しているかを証明するためにカミングアウトするけれど、何を隠そうわたしの名前は小池だ。ラーメン大好き小池さん。ラーメンを愛しラーメンに愛された男。それがわたし。

 でもお肉が苦手なので、背脂が浮いてたり濃厚豚骨なんちゃらなラーメンは好まない。二郎系などはその最たるもの。あれほどに脂が載っている物体はもはやラーメンではなく脊椎動物でありUMA

 そんなラーメン大好きなわたしが今ハマりにハマっているのが『ねぎみその逸品』。ヤマダイさんがニュータッチブランドとして世に送り出している凄麺シリーズのカップ麺。これがすごくおいしい。

 ただヤマダイさんには悪いけれど、正直麺はどうでも良かったりする。わたしは油揚げ麺よりノンフライ麺が好きなので、ノンフライ麺でさえあれば何でもいい。

 特筆すべきはスープ。スープが逸品。そしてこのスープで食べるライスが逸品。いや、これこそがねぎみその逸品の真骨頂。スープがおいしすぎて麺が蛇足という悲しき実態。

 ヤマダイさんにはぜひ麺を除いたスープだけで販売してもらいたいところだけど、最近は本品の食べ過ぎによる過剰な塩分摂取が気にかかるので、もう少しおいしくないスープにしてほしい。

それとわたしの名前は小池ではない。

初めて出汁割りを飲んだ

 『こないだ』と聞けば日本国民のおよそ9割が渡良瀬川の河原に降りてずっと流れを見ていたら北風がとても冷たくて風邪をひいてしまった森高千里さんの愚行を思い起こすらしいけれどわたしの場合は出汁割り。

 こないだ奥さんがおでんを作ってくれたから出汁割りというものを試してみた。お酒をおでんの出汁で割って七味をかけた飲み物みたいなゲテ物みたいな飲み物。前にどこかの飲み屋でおっちゃんたちが飲んでるのをテレビで観てからずっと気になっていた。

 正直あんなゲスいカクテルが美味しいはずはないと思っていた。シンクにぶちまけた残り物のお酒とおでんの出汁がたまたま洗う前のコップの中でミックスされたのを見た貧乏性のおじいちゃんが飲んでみたらこりゃうめえーみたいなしょうもない偶然が出汁割りの由来だと思った。

 でもテレビのおっちゃんたちは美味しそうに飲んでいたし何事も経験してみなければ分からないと思い直しダマされたつもりで試しに飲んでみたらしっかりダマされた。出汁割り不味かった。正確には3口目までは普通においしかったけれど4口目でははーんさてはこれは出汁割りがおいしいんじゃなくて出汁がおいしいんだなと突然気づく。

 であれば普通に出汁とお酒を別々に飲めばいいのであってお酒で割る必要は全くないとのファイナルアンサーを叩き出す寸前にもたらされた速報によると出汁割りは日本酒で作るらしい。わたしが作った出汁割りの中は何だったか。確かいいちこ。焼酎だアレは。日本酒を入手して再検証の必要あり。続報はない。

晩酌の話をしようか

 晩酌という言葉には何だかスパイシーなオヤジ臭が漂っていてどうにも止まらないからリンダが困っちゃうという噂があるけどそれは信じちゃいけない。なぜならわたしの心はウブだからだ。ただリンダが困ってもわたしは困らないけどマンダが困ると久子が悲しむからそれだけは避けたい。

 晩酌でも賃借でもいいんだけどわたしはご飯と一緒においしくお酒を飲みたいだけなのにそうはさせまいとする強大な敵がわたしの前に立ちはだかる。それがお酒はご飯と一緒には飲まないという知人。人呼んで『お酒はご飯と一緒には飲まないという知人』だ。

 知人は晩酌とはご飯ではなくおつまみと共に楽しむものだという。だからわたしがご飯と一緒にお酒を飲むと「変わってるね」とか言う。両のモミアゲつまんで踵が浮くほど持ち上げっぞ。どうしてわたしの方が変わっていると言い切るのか。自分が正しいというその自信はどこから来るのか。卒業していったいなに解るというのか。ゴメンちょっと尾崎出た。

 前に居酒屋でわたしが真っ先にチャーハンを頼んだ時には「早過ぎ。腹に溜まっちゃうじゃん」と言われた。え、腹に溜まっちゃダメかな。え、好きになっちゃダメ……かな。ゴメンちょっと乙女出た。つーか何の食べ物でいつ腹が満たされてもよくない? ステーキでもブロッコリーでもババロアでもババアでも好きなら何でもいい。

 わたしは特に熟女好きではないけどわたしの年齢で熟女は70歳とかになってしまう。それはもはや熟女というか老婆というかローバーであり即ちランドローバー。ランドローバーが作りしレンジローバー。ややこし。トヨタが作ったホヨタ。ホンダが作ったリンダ。ニッサンが作ったマッサン。お酒飲みたい。

整形ジョニー・デップ

 以前に娘が二重に整形したいと言い出した話を書いたけどわたしは整形には反対ではない。ただ整形をすることの利害得失は考えてほしい。

 例えば恋人が出来たら「彼は本当の私ではなく二重の私を好きになったんだ」とか、二重の彼との間に子どもができたら「生まれてくる子が一重だったらどうしよう」とか悩んじゃいそう。

 一重というコンプレックスから開放される代わりに整形自体がコンプレックスになりはしないか。本官はそれだけが心配で夜も6時間ちょいしか眠れない。整形したことを墓場まで持っていかなければならないなら整形はしない方がいい気がしてしまう。

 わたしは自分の容姿にコンプレックスを感じることはない。それはわたしが超絶イケメンだからではなく単に自分が大好きだからというそれだけのことだったりする。

 そりゃ歯並びが良くなかったりO脚だったり頭部の形状が初代ピッコロ大魔王のそれと酷似していたりはするけれど。

 夏でも冬でも四六時中タートルネックで頭を隠している恥ずかしがり屋で少し小ぶりな御珍宝を所有していたりするけれど。

 生まれた家庭がアベンジャーズですら救えないほどの貧乏だったり両親ともにすこぶる仲が悪くてジブリ映画の主題歌かなってくらいにいつも何度でも夫婦喧嘩を見せられたのはコンプレックスではなくてトラウマか。

 そんなわたしも数年前に知人に「君は髪型は全然違うけどひょうきんな表情がジョニー・デップに似てるね」と言われたからこれはチャーリーとチョコレート工場の時のジョニーだと思い至りせめてシザー・ハンズの時のジョニーならギリ許せたんだけどなーとか思って落ち込んだりもしたけれど私は元気です。

トイレの長トング

 電車の中で見た薄毛治療のポスターに大きく写る院長らしき男性自身が末期の薄毛だったのには申し訳ないが大いに違和感を覚えた。

 会社のトイレで個室に入りズボンを下ろして便器に座ったら端の方にボランティアのごみ拾いなどで使う長いトングが立て掛けてあったので末期薄毛院長と同じくらいの違和感を覚えた。

 誰がこんなところにこんな物を置いたのかは知らないがあまりに場違い過ぎて解せない。当世風に言うなら解せりみが浅い。でも問題はそこじゃなくてあの長トングで何を掴むつもりなのかが重要であり喫緊の課題。まさか夢や希望ではあるまいよ。

 いや本当は自分でも気が付いているけど気が付かないフリをしているこの複雑な乙女心をおもんぱかれ。パン屋のトングで掴むものはパン。焼肉屋のトングで掴むものは肉。ならばトイレに置いてある長トングで掴むものはアレをおいて他にない。

 そう。未来だ。未来。いまだ来ぬもの。今より先のこと。訪れるはずの明日。我々はこの長トングでまだ見ぬ明日を掴み取ろうとしているのだ。たぶん。きっと。

スコーンと娘の成長

 とある日曜日の午後に奥さんがキッチンで粘土を捏ねていたから「そんなことより一緒にスイカゲームやろうぜ俺まだ一回もスイカになったことないんだよなー」って言ったら粘土じゃなくてスコーンの生地だった。おやつに焼くのだという。

 「焼くと膨らむ?」と聞いたら「膨らむよ」と言うのでリビングから椅子を持ってきてオーブンの前に陣取りスコーンを観察しはじめた。

 3分くらい目を離さずに見ていたけど全然膨らまなかったので通りかかった奥さんを掴まえて「そんなこと言ったってぜんぜん膨らまないじょのいこー」とえなりかずき風にクレームを入れたら彼女はオーブンの中を覗き込んで「少しずつ膨らんできてるよ」と言ってウフフと走り去った。

 「こぉいつーぅ!」立ち上がって奥さんを追いかけようと振り返ったらキッチンの角に小指を強打した。うずくまった。吐き気がしてきた。「違うこれは焼き味噌なんじゃー」と昔の思い出が走馬灯のように頭を駆け巡ったけどわたしのじゃなくて家康のだった。三方ヶ原の戦い武田信玄に討ち取られそうになって恐怖のあまり脱糞した事実を強引にごまかそうとした時の家康のだった。せめて自分の走馬灯が見たかったナ。

  部屋干しされたわたしのボクサートランクスがうずくまるわたしをあざ笑うかのように揺れていたのでムカッとして近づいたらプゥ〜ンと強烈な生乾きのオイニーが鼻をかすめたので何だかもうカッチーンと来て「ホアキンフェニックーーースッ!!」と奇声をあげてピンチハンガーからトランクスを引きちぎった。リヴァー・フェニックスじゃなかったのはせめてもの情と知れ。

 スコーンのことをスコーンと忘れていたことを思い出したのでオーブンに戻って中を覗いたらスコーンが膨らんでいた。何年かぶりに知人に会うと「お子さん大きくなったねぇ」と驚かれたりするけど我が子を間近でずっと見ているとその成長が分からなかったりするからたまには少し目を離してみるのもいいのかもしれないなとオーブンの中のスコーンをぼんやりと眺めながら思った日曜日のアフタヌーン

 あとスコーンおいしかった。

柴田恭兵さんは何がそんなに関係ないのか

 来年の話をすると鬼が笑うとか言いますが鬼などという空想のモリモリゴリマッチョが笑ったところで当方痛くも痒くもないので来年の話をしますが来年は絵に力を入れてみようと思っています。絵が描けるとそれだけで表現の幅が格段に広がるし練習を続けていけばドヘタがヘタくらいにはなるのではないかと推測します。

 だから今から少しずつ絵の練習を兼ねて毎日絵を描いてはSNSに投稿なぞしております。いずれこのブログにもアップさせていただくかもしれませんが予定は未定なのでよくある話です。

 わたしが毎日描いてアップしている絵はネットで見つけた写真を模写して描いたものですが、これってよく言われるトレパクなんでしょうか。トレースはしてないしこの絵で収益を上げてもいないのですがネットにアップしている時点でやっぱりわたしもアウトなんでしょうかね。

 でもわたしだけでなく実際こういう絵はネットに溢れているわけでアウトだけど実質グレーというか正直よく分からない部分はあります。だからといってわたしも関係ないねの一言で済ますわけにはいかないのですけれど。

 関係ないねと言えば柴田恭兵さんなんですね。いやもうそれはそうなんです。柴田恭兵といえば「関係ないね」だということは日本国民全員が周知徹底されているんです。『柴田を見たら関係ないと思え』は日本での常識であり『柴田も歩けば関係ないに当たる』とか『石の上にも柴田』『2階から柴田』とかもよく言われます。二階から柴田は理恵ではなく恭兵ですから間違えないように。ここテストに出ませんよ全然。

 それはいいんです。問題は柴田恭兵さんはいったい何が関係ないのかって事です。何が彼をそこまで排他的思考にさせるのか。わたしは今の今まで何の疑問も持たなかった自分に恐れおののいています。それはウソです。恐れおののいてみたかっただけです。

 ウィキペディアで調べたところによると元ネタは1980年代に流されていたポッカ缶コーヒーのCMで柴田恭兵さんが口にしたセリフらしいんですよ。でもそのCMが直接の要因ではなくて、そのセリフを当時の田代まさしさんや木梨憲武さんがバラエティで多用したことが結果として「関係ないね」を柴田恭兵さんの代名詞にしてしまったらしいんです。

 そのCMはYouTubeにないんです。いくつもCM観たんですけど、どのCMでも「関係ないね」なんて言ってないんですよ。結局分からずじまいだったんですけど、分かった事といえば改めて若かりし頃の柴田恭兵さんが超絶かっこよかったという全然関係ない事だけでした。